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公開日:2022/11/11

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【世界一周会計士】世界で活躍する会計士へインタビューVol.5 東洋の奇跡の国、シンガポールで独立開業! ~急成長する先進国で活躍する会計士へ密着取材!~~

世界一周会計士の記事

こんにちは!世界一周会計士の古作祐真です。

会計士資格を携えて世界一周をするからには、“グローバルで活躍されている会計士の情報をぜひ日本に届けたい”、“海外で活躍している会計士の様々なロールモデルを皆さんにお伝えしたい”そんな思いから、『世界で活躍する会計士へインタビュー』というコラムの連載をCPASSさんの力をお借りしながら、月1~2本ほどの頻度で寄稿していきます。

第5弾は、CPA CONCIERGE PTE LTDにて代表を務める萱場玄さん(以下、萱場さん)です!

萱場さんは、2002年に公認会計士試験合格後、監査法人を経て、アメリカへ語学留学をされました。その後英語に関わる仕事をする為、会計事務所へ転職され、シンガポール現地会社で経験を積まれたのち、独立されています。

今回は、東南アジア経済圏No.1の国、シンガポールでキャリアを歩まれている萱場さんの“キャリアの変遷”“なぜシンガポールという国を選んだか”

などについて深堀してきました!

    1.プロフィール

    萱場 玄 (Kayaba Gen)

    CPA CONCIERGE PTE LTD 代表者

    公認会計士(日本)・税理士(日本)

    2002年:公認会計士2次試験合格

    2002年:あずさ監査法人入社

    2008年:東京共同会計事務所入社

    2012年:TMF GROUPシンガポール入社 ジャパンデスク代表に就任

    2014年:CPA CONCIERGE PTE LTDを創設 代表者へ就任

    現在に至る

    2002年にあずさ監査法人にて会計監査等に従事。その後、2008年に東京共同会計事務所にて不動産証券化SPCの記帳・決算・税務申告、監査、会計税務アドバイザリーサービス、国際税務、IFRSアドバイザリーサービス、株式・債権の評価、財務DD等に従事。2012年にシンガポールへと舞台を移し、TMF GROUPシンガポールにて日系企業のASEAN地域(主としてシンガポール)への進出時、進出後の各種事務代⾏に従事。2014年にCPA CONCIERGE PTE LTDを創設し代表者へ就任。

    2.インタビュー本編

    ――萱場さんが公認会計士を目指したきっかけを教えてください。

    堕落した生活から抜け出すための一発逆転できる何かが、私にとって会計士資格だったからです。

    幼少期に話は遡りますが、小学生の頃は成績が良く優等生だったものの、中学2年次に何を思ったか、人とは違う道を歩みたくなりました。

    その結果、高校・大学受験の双方で失敗し、挙句の果てには一浪してなんとかギリギリ拾ってもらった大学に入学しました。

    そのきっかけはパチンコで、大学生1年の頃は冗談抜きで、360日をパチンコに費やし、パチプロのような生活を過ごしておりました(笑)。

    ふとした瞬間に、「自分の希望でもない会社に入って、一生サラリーマンやるのか…」と危機感を覚え、何か一発逆転できるものが無いかを必死に探し始めた結果、目を付けたのが公認会計士でした。

    当然、簿記の勉強をしたことがなく、会計士試験に向いているかすらも分かっていなかったため、腕試しに簿記3級を受けてみました。その結果、幸いにも意外とすんなり受かってしまい、「俺、会計の才能あるかも」と思ったことがきっかけで、試験勉強をスタートさせました。

    しかしながら、会計士試験は想像以上に難しく、かなり勉強したにもかかわらず、当時50点満点の短答式試験で34点ボーダーに対し29点を取ってしまいました。本当に悔しかったのを覚えています。

    その悔しさをバネに、試験後は多くの受験生が1,2か月ほど休んでいる中、次の日から1日14時間、次の年の論文に向けて勉強を続けました。その結果、次の年に合格を掴み取ることができました。

    ――360日のパチンコ生活から一転して、1日14時間の受験勉強生活と、大きくシフトチェンジされましたね!

    ――その後、監査法人へと就職されていますが、あずさ監査法人(以下、あずさ)を選んだ理由と監査法人での生活について教えてください。

    2002年当時は運よく売り手市場で、様々な飲み会に連れて行ってもらったのですが、とある飲み会でお話したKPMGの方がとても面白く、それが決め手になってKPMGに行こうと決心しました。

    当時は、EYとKPMGが単一の法人(新日本監査法人)だったため、ひとまずKPMG管轄の部署に入所しました。2003年にKPMG監査部門が分離する形となり、新設されたあずさ監査法人に初期メンバーとして再度入社しました。

    ↑監査法人時代2年目の萱場さん

    監査法人時代の生活で思い出に残っているのは、2年目にアメリカに憧れを抱いたことがきっかけで、英会話をとことん勉強したことです。

    学生時代に英語を全く勉強したことがなかったため、まずは、基礎固めのために中学校英語を2週間で総復習することから始めました。朝6時に起床し、仕事へ行く前に1時間ほどオンライン英会話をしてから、出社していました。

    当時は終電まで残業するのが当たり前な時代でしたので、クライアントからオフィスに戻る際に、駅前の英会話スクールに寄り道したりもしていました。土日はフリーディスカッションができるスペースで、6時間ほど英会話教室に入り浸っていましたね。

    ――パチンコ、会計士試験勉強、そして英会話と、萱場さんの凝り性具合が伺えますね(笑)。

    ――監査法人退職後に東京共同会計事務所(以下、TKAO)に転職された経緯と、その後再度転職活動行った経緯を教えてください。

    監査法人に入社し3年半が経ち、ちょうど公認会計士の最終試験のタイミングで退職しました。

    監査法人を辞めてからアメリカの語学学校に入学して、8か月の滞在期間中にアメリカで就職することを志していましたが、ビザの申請タイミングが合わず、致し方なく日本に帰国することになってしまいました。

    英語を使う仕事がしたいという気持ちは捨てきれなかったため、条件に合う仕事を探していたところ、東京共同会計事務所から「英語を積極的に使いたい会計士なんて珍しいから、ぜひうちに来てほしい」とポジティブなオファーを頂き、そちらに転職しました。TKAOでは、4~5年程、国際税務等を経験しました。

    そしてTKAOに在籍中、自分の将来について熟考しました。

    「日本は経済的に今後沈み続けて、この先、回復して持ち直す可能性が低いのではないか。」

    「個人では日本を変えるような大きいアクションを起こすことはできないから、せめて自分の子孫が繁栄できるように」

    と思い、英語圏の国に移住しようと考えました。

    欧米への憧れもありましたが、時差の関係で日本と昼夜逆転してしまい、且つ両親に何かあった際に直ぐに戻れないことを考慮して、移住先候補をアジアに絞りました。

    TKAO時代、代表に「シンガポール事務所を立ち上げましょう」と直訴し続けましたが、中々進出の目途が立たなかったので、であれば自分で行ってしまおうと思い立ち、転職活動を始めました。

    ――なぜ候補が多数ある中、『シンガポール』という地で働くことを決めたのでしょうか?

    理由は3つあります。

    まず1つ目は、生活インフラが整っていることを重要視していたから、2つ目は英語圏に移住したかったからです。そして3つ目は、ビジネスのしやすさという点で選びました。

    実は最初は、ベトナムのホーチミンに行こうと考えていました。現地の会計事務所の内定も頂き、最終確認のため現地の家や近くのスーパーの下見をし、生活イメージまで沸かせたのですが、生活インフラが整っていなかったという理由で、ベトナムでの就職と移住を断念しました。

    加えて、使用言語の問題も大きかったです。ベトナムは英語圏ではないため、現地の方との会話は英語ではなくベトナム語になってしまいますが、ベトナム語の汎用性は極めて低く、子供や孫が将来ベトナム語を使えた場合の有用性が低いことを考えると、やはりベトナムではないという結論に至りました。

    この基準で行くと、香港とシンガポールが候補に残りました。香港は汚くてうるさいが先進的、シンガポールはその逆で静か・綺麗で落ち着いていて先進的、というイメージでした。最終的には香港はチャイナリスクもあり、ビジネスが難しそうと判断し、シンガポールでの就職と移住を決めました。

    3つ目は、よりビジネスがしやすい国に行くべきだと考えていたからです。

    自分が働く国を選ぶ上では、企業の進出理由が「コストを下げに行くための国なのか、そうでないか」、という視点が重要だと思います例えばベトナムの場合、企業が進出する目的が現地に工場を造り、コストダウンをするためというケースが多いですが、その場合、会計事務所に支払う報酬も、基本的に削減する方針となってしまいます。

    一方で、シンガポールの場合、企業が進出する目的が節税等、儲かっている企業がより利益を作り出すためというケースが多いので、適切なサービスを提供すれば、しっかり報酬を支払ってくれる企業が多いです。いわゆるポジショニングが重要ですね。

    ――そう考えるとシンガポールで会計ビジネスをすることは非常に理にかなっていますね…!

    ――その後TMF GROUP(以下、TMF)に転職されていますが、どのような経緯で働くことになったのでしょうか。あわせて独立した経緯も教えてください。

    シンガポールで働くことを決意し、「シンガポールで仕事したい」と友人に相談したところ、現地の会社を紹介してもらいました。そして2012年4月、TMFいうオランダの経営管理会社のジャパンデスクヘッドとして入社しました。

    実際に働き始めてみて、シンガポールは想像通り良い国で居心地が良かったため、この国に住み続けたいと思っていました。

    しかし、1年が経過したところで会社の方針と合わず、次のステップを考え始めていたのですが、当時は独立しても上手くいくかどうかが不安だったため、残りの1年で会社の広告も兼ねて「自分マーケティング」をし始めました。

    つまり、会社の広告はしつつ、自分の写真や名前、記事を一緒に出したりして、「萱場玄」という公認会計士自体も同時に売りに出したんです。その後、期が熟して2014年に独立し、8年程して今に至ります。

    ――独立を見据えて「自分マーケティング」をされていたなんて、非常に戦略的ですね。「自分マーケティング」でこれはいけるなという自信がついたのでしょうか?

    TMFの時に、日系企業向けのセールスを担当していたのですが、競合他社の状況や価格帯も一通り把握しており、情報収集が十分にできていたため、これで独立できるという自信に繋がりました。ただ、結局独立して経営が安定するまでの2~3年は貯金を切り崩す生活でしたけどね。

    ↑創業当初のお写真(開業後数年は自宅をオフィスとして使用していました)

    ――なるほど。ちなみに、独立後に就労ビザ(以下、Employment Pass: EP)について苦労されたと伺っていますが、ぜひそのエピソードを教えてください。

    EPに関しては、承認が下りないと「強制帰国」という、精神的に非常にスリリングな体験をしました(笑)。

    初めは、会社に勤めながら会社を新設し、新しい会社でEPを申請し、承認が下りるのを待っていました。ところが予想外にも審査で落とされ、更に再審査要求でも落とされ、結局合計3回目提出し、1年という期限付きではありましたが、初年度は審査に受かることができました。

    1年後、「別に大丈夫だろう」と高を括り、更新時期に審査に臨んだら、なんとまたしても落とされてしまったのです。初回の申請の際に、1年後に①好業績と②シンガポール人の雇用を宣言していたのですが、その記録がしっかりと残っていたのです。

    次の再審査タイミングで承認が下りなかったら、息子は学校に行かせているし、マンションの家賃も支払っているにもかかわらず、日本に強制帰国させられる状況まで追い込まれました。しかも審査の期間は数か月にも及ぶため、当時は本当に眠れない日々を過ごしていました(笑)。

    何とかその場も乗り越えることができましたが、1年後の更新でも、結局シンガポール人を雇えずことができず、再度同じやり取りが繰り返されました。3回もビザ監督官庁と死闘を繰り広げ、最終的には何とか3年更新にこぎつけることができました。当時のこの苦労は一生話せる思い出になりました(笑)。

    ただ、これを機にシンガポールのEPのスペシャリストにもなりました。お客様が進出した際に同じ状況になる可能性が大いにあるので、業務ではお客様がEP審査に受かるように一生懸命に勤めております。

    ――EP取得で本当に苦労されたのですね。ただ、その経験を活かして今のお仕事にも繋がっているのが素敵です。EP取得以外に苦労したことはありましたか?

    仕事自体にはそこまで苦労しませんでした。採用の失敗やクライアントからの契約解除といった苦労はありましたが、あまり失敗を失敗と思わないといいますか、うまくいかなかった原因を分析して次に生かすためのネタが得られる機会、という感覚ですね。

    むしろ、日系企業を相手にする場合は、海外で起業した方が楽だと思います。

    日本の会計事務所は何千何万社とあり、競合がとても多いですが、シンガポールで独立開業しているライバルは少ないため、営業は必然的にそこまで難しくないんですよ。マーケット自体も小さいというのはありますが。そうですね、実際に私がシンガポールで競合している会社は10社程度でしょうか。

    ――なるほど…!競合他社が少ないという点で、実はブルーオーシャンなんですね!

    当時、日系の会計事務所や法律事務所のシンガポール進出ラッシュだったのでまだ入り込む余地はありましたが、今はレッドオーシャンかもしれませんね。

    あとは、心理的な面で苦労した話でいうと、コストの高さです。

    シンガポールで日本人を雇うと、この物価ですから当然人件費が高くなります。その分、報酬単価を上げる他ありませんが、その分お客様も苦しくなってしまうジレンマが個人的には苦しかったです。

    外国人がシンガポールで仕事をすることは基本不利です。例えば家賃にしても、シンガポール人は大概親の持っている家に住んでいるためコストがかかりませんが、日本人が家族で住むとなると、家賃だけで50~60万円/月はかかります。

    普段からお客様には成功してほしいと願って仕事をしていますが、私たちのせいでPLが苦しくなるという状況を目の当たりにすると、「私たちは何のためにやっているのだろう」と思うことがありました。

    ――シンガポール特有の物価の高さ故の悩みですね。

    ――シンガポールに住まれて10年経ちますが、この国の素晴らしいポイントを敢えて1つだけ挙げるとすればなんでしょうか?

    やはり、国のリーダシップですね。非常に合理的で、決めたらすぐに行動に移す実行力があります。「株式会社シンガポール」と比喩されるように、無駄な人員の使い方やペーパーワークはほぼなく、酒類・タバコ規制や増税も発表した日に直ぐに施行されることもあります。

    日本は政府のリーダシップはあると言いにくい状況ですが、民間企業がしっかりしています。一方シンガポールは、政府がしっかりしていますが、民間は正直そこまでです。どちらが国として伸びるかというと、圧倒的に後者、だと思っています。全体最適を目指して国全体でリーダシップを取っているのだ、ということをこちらに10年住んでより強く感じます。

    例えば、コロナ対応の一つを取っても、日本は対応がふわっとしていますが、シンガポールはマスク着用のルール等が明確で、守らない人の罰則も重いので、基本的に全員がルールを守ります。これは、罰則が重いのもありますが、政府の決まりを国民が信用しているからだと思っています。

    シンガポールは政府関係者が上位数パーセントの頭脳集団なので、国民も「頭のいい人が決めているのだから従おう」といった形で、政府を信用しています。実際、経済成長の実績もありますからね。

    また、シンガポールの内閣総理大臣の報酬が、世界で一番高いのもご存じでしたか?その他の官僚の報酬も経済指数と連動させる業績連動型報酬になっていると言われていて、経済成長が彼らのインセンティブになっているんです。日本もシンガポールのように、例えば出生率を上げたらボーナスが出るような合理的な制度を導入した方が良いと思いますよ。

    ――なるほど。シンガポールは罰金大国で有名で制約が多いイメージですが、その制約は合理的だから素直に国民が従っているということなんですね。

    国が常に全体最適を求めていますよね。例えば、ゴミ箱と灰皿は、シンガポールでは至る所に配置されていて、ポイ捨て防止になっています。日本は過去に騒動があった関係で、テロ対策の一環としてゴミ箱を配置していませんが、どちらが最適かというとゴミ箱がある方だと思うんです。

    ロジックに基づけばゴミ箱を置いた方が合理的ですが、日本政府は批判を恐れてそれをやっていないのが現状です。日本ではそのような取り組みを政府がやらずに、スタートアップが担っている状況ですよね(笑)。

    シンガポールでは、デモも基本的に禁止で限られたエリアのみ可能です。これは、シンガポールの1/3は外国人で、多民族国家である故、互いに民族同士で喧嘩が起きると国の秩序が保てなくなるので、デモは禁止にしているものの発散の場は設けるべきであるため、一部のエリアのみ可能となっています。こんな感じで、色々と国のシステムが良いんですよね。

    ――シンガポールの素晴らしさを改めて実感しました。

    ――改めて、萱場さんの今後の展望を教えてください。

    コロナでロックダウンが続き、働き方について色々と考えるきっかけになりました。会社には何の意味があるのか、物理的なオフィスはいるのかなどです。そして、たどり着いた結論は、「ウェットな関係性のある会社」を目指すべきだということです。

    なぜかというと、人間は家族や職場など、色々なコミュニティに所属していて、人生の半分くらいの時間を仕事に捧げています。楽しいことをしたり、「今日ランチ何食べようかな」とか、そういうウキウキした気分で仕事にいくような会社が良いと思うんですよね。本来、仕事の成果だけを求める「ドライな関係性」だけを求めるのであれば、シンガポールは人件費が高いので、ベトナムやインドにアウトソースすれば良いという話になってしまいます。

    折角皆でやっているんだから、たまには飲み会したり、社員旅行したり、みんなで仲良く過ごすことが大事かなと。仲間を増やして、卒業した人も良かったなと思えるような会社にしたいです。そして家族や取引先からも評判の良い会社にして、「評判No.1の会社」にしたいと思っています。

    実は元々はウェットな関係性が嫌いで、監査法人時代はランチをコンビニで買って一人で済ませてしまうタイプでした。ただし、わざわざシンガポールで会社を経営するのであれば、全体最適を考えて、ウェットな職場の方がやりやすいのではないかと考えています。

    ――最後に、若手会計士に向けて一言お願いします。

    会計士も立派なビジネスパーソンです。そのため、「客観的に自分の価値があるかどうか」を常に考えてほしいです。

    例えば、先述した話でも、ランチを一人で食べる行為は、個人としては好きでやっているかもしれませんが、客観的に見たら付き合いの悪い、ただの嫌な奴ですよね(笑)。チームとしての一体感や、会社の人間関係が良いから会社を辞めない、みたいな雰囲気づくりに寄与しない人材といえます。

    逆に、仕事ができなくても、周りの人を和ませたり、人気があったり、優しかったり、助けてあげられたりする人は、組織において価値が非常に高いです。よくSNSで、窓際族の仕事ができないオジサンの存在意義を問う若者の意見も流れてきますが、会社からすると、あの人がいると雰囲気が明るくなる、といった人材は貴重です。

    私も当時は分からなかったのですが、一人の社会人として、自分のパフォーマンスがどこで見られているか、会社のためになる動きは何か、といったことを考えるべきだと思います。

    会計士はその視点が特に弱いです。コミュニケーション能力は一生育てられるし、やれば絶対に伸びるスキルだと思いますので、ぜひ意識してみてください。

    ――受験生に向けて一言お願いします。

    残念ながら日本が今後経済的に盛り上がることはなく、ギリシャやローマの様な、一昔前は栄えていた観光で食べていくような国になると私は考えています。

    そのような時代が仮に訪れてしまった場合、日本の会社は必然的に海外に進出します。我々のお客様が海外に出ていくとなると、私たち会計士もインドやアフリカ、南米などに出ていった方が、より多くの企業をサポートできるようになるし、日本企業、日本経済に貢献できると思います。

    会計というグローバルツールを身に付ければ、IFRSと日本基準は基本的な考え方は殆ど一緒なため、グローバルで活躍できる素養が身につきます

    一方で、日本国内の業務だけで完結させようとすると、将来の自分のバリューも伸びなくなる可能性があります。公認会計士という資格は極論を言ってしまえば、日本の監査報告書にサインできるものでしかないので、監査法人を辞めた後は独占業務はありません。

    また、日本国内業務のみに絞ってしまうと、日本経済に大きく依存する事にもなり兼ねないので、「会計を基礎とした世界で戦えるビジネスパーソン」に脱皮するのが会計士の最終ゴールかなと思ったりしています。

    試験に合格して、一ビジネスマンとして、ぜひ世界で活躍していってほしい、というのが私のメッセージです!

    ――ありがとうございました!

    3.最後に

    現在の真面目な萱場さんからは全く想像がつかない、パチプロ時代のエピソードがありましたが、シーンは違うものの、「ものごとを突き詰める姿勢」自体は一貫していると感じました。

    会計士試験に落ちた次の日から14時間勉強を始めた受験生時代や、平日は朝6時に起床し土日は6時間も英会話をする監査法人時代からは、まさしくプロフェッションになるための差別化をし、自分の強みを付けていくアグレッシブさを感じました。ここに萱場さんの活躍の源があるのだと思います。

    シンガポールという地を選んだ理由についてのお話も、ビジネスをするにあたり、マーケティングの視点が重要だと改めて感じました。

    シンガポールが富裕層マーケットだからこそ、独立後も安定して収益を稼ぐことができています。ビジネスをする上で、どのポジショニングで働くか、という視点は非常に大事だと感じました。

    また、今後の縮小していく日本市場を見据えて、海外で働き自身の可能性を広げるために、自分のスキルを磨き続けなければいけない、という点でも同意です。

    シンガポールに来て、物価の高さをまじまじと感じ、「この国で暮らしていける実力がない」という現実に大きく落胆しました。

    個人的には少年時代に7年間暮らしていたシンガポールですが、こうしてビジネスマンとなり、再度シンガポールを訪れ、超合理主義シンガポールという情報を耳にし、さらにこの国に興味が湧きました。いい国ですね、シンガポール。

    ご清覧ありがとうございました。第6弾もお楽しみに!

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    この記事を書いた人

    古作 佑真(こさく ゆうま) 

    山田 智博(やまだ ともひろ) 

    両者ともに、大学在学中に公認会計士論文式試験に合格後、KPMGあずさ監査法人グローバル事業部へ入社し、大手総合商社を主軸としてIFRS監査に従事。法人内の採用プロジェクトにも関与。

    古作は、同法人にて5年間、監査業務に従事し、各種主査を経験。また、DX部署にて監査SaaSツール開発や次世代監査(ドローン監査等)の業務にも従事。

    山田は、2年3ヶ月の同法人勤務後、2021年7月に独立。CPASSでのキャリア支援業務の他、フリーランスとして上場支援・キャピタリスト・リクルートコンサルなど複数社に従事。2022年7月には、会計コンサル会社を共同創業。

    会計は世界共通のビジネス言語。この言葉を証明するため、グローバルで活躍する会計士の情報や、自身の会計の知見を活かした各国でのコラムを執筆して参ります。

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