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公開日:2022/10/12

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PwCあらた有限責任監査法人でパートナーとして活躍する臼杵大樹(PwCあらた有限責任監査法人パートナー)のキャリア!

今回のロールモデルは、PwCあらた有限責任監査法人パートナー、臼杵大樹さんです。

臼杵さんは国見さんと高校の同級生であり、CPA日吉校の初代チューターでもあります。監査法人入所後にどのように語学力を磨かれたか、2度の海外駐在でのご経験や監査の魅力についてお話しいただきました。ぜひご覧ください!

    臼杵大樹さんのプロフィール

    臼杵 大樹

    PwCあらた有限責任監査法人

    テクノロジー・エンターテインメントアシュアランス部(以下、TMT)

    パートナー

    公認会計士

    慶應義塾大学在学中の2000年、公認会計士2次試験に合格。CPA日吉校初代チューターを務める。大学卒業後、旧中央青山監査法人に入所。2006年のあらた監査法人(現 PwCあらた有限責任監査法人、以下PwCあらた)設立後は、消費財・産業財・サービス アシュアランス部(以下CIPS)に所属し、主に小売・卸売系の監査に従事。2007年から2年間はPwC米国に出向。一度帰国するも、2015年から2年間再びPwCドイツに出向。PwCあらた帰任後はTMTへ転籍し、主に大手総合電機メーカー(米国基準)、半導体メーカー(IFRS IPO)の監査に従事。その後パートナーに昇進し、現在に至る。

    臼杵大樹さんの略歴

    2000年:旧公認会計士2次試験合格。
    2001年:旧中央青山監査法人入所。
    2006年:あらた監査法人入所。
    2007年~2008年:PwC米国(レキシントン事務所)に出向
    2008年~2009年:PwC米国(ロサンゼルス事務所)に転籍
    2015年~2017年:PwCドイツ(ミュンヘン事務所)に出向
    2017年:PwCあらたに帰任 TMTへ転籍

    01. CPA日吉校時代

    ――CPAに入学した経緯や国見さんとの出会いを教えてください。 

    国見さんと出会ったのは高校3年生のときで、同じクラスで隣の席でした。大学2年生になり、あるパーティー会場で国見さんと再会したのですが、大学1年生のころから会計士試験の勉強を始めていた彼は、「大学は遊ぶところではない。社会に出る前のモラトリアム期間だ」と語っていました。楽しい大学生活を送っていた私はそれに強い衝撃を受け、翌日にCPA会計学院に入学。その次の日には、国見さんと勉強を始めていました(笑)。大学3年生で短答に合格し、翌年論文にも合格しました。ちょうどそのころ日吉校が作られたため、1年早く合格していた国見さんを手伝う形で、論文試験合格後はチューターを務めました。

    02. 監査法人入所後のキャリア

    ――大学卒業後は監査法人に入所されたとのことですが、当時の英語力はどの程度でしたか?

    中央青山監査法人に入所後、抜き打ちでTOEICが行われたのですが、真剣に解いたにも関わらず結果は230点でした。990点満点かつ4択なので、計算上全て同じ数字にしても240点はとれるはずなのですが(笑)。

    ――英語は苦手だったとのことですが、海外赴任が決まるまでどのようなご経験をされたのですか?

    入所後の配属は英語の出来、不出来は関係ないようで、外資系クライアントの担当になりました。PwCドイツから来たドイツ人のマネージャーがアサインされており、上司が英語で会話や議論している姿を見て、英語の勉強に励むようになりました。最初の年は「Hello!」のみで1日の会話が終了してしまうような状況でしたが、気が付くと4年が経過し、私が現場責任者になっていました。最初は監査上の問題点を英語で伝えることも難しかったのですが、まずはメールで伝え、次に直接話しかけるということを繰り返していきました。周りに英語を勉強していた人は少なく、外国人のマネージャーが英語を話せる日本人を探していたこともあり、少しずつ「仕事を手伝ってほしい」と声がかかるようになりました。そうして徐々に外資系クライアントの仕事が増えていき、OJTで英語を学んだ後、2007年にPwC米国に出向する機会に恵まれました。

    ――米国での出向ではどのような経験をされたのですか?

    米国では、当時小売系のクライアントを担当していたことからケンタッキー州のレキシントン事務所に出向しました。米国では仕事の話にはついていけましたが、現地のスタッフ同士の雑談にはついていけず、正直辛かったです。そのような中、日本でしっかり監査を学び、会計の知識を身に付けていたことが自分を助け、米国でも評価していただくことができました。

    ――ケンタッキーからロサンゼルスに移籍した後はどのような経験をされたのですか?

    ケンタッキーで1年間働いたあと、ロサンゼルスのオフィスに移りました。そこでは米国の上場会社の担当になったのですが、チームメンバーのうち日本人は私1人でした。クライアントから、ネイティブではないことからか露骨に嫌な顔をされたり、資料を頂けなかったりしたこともありましたが、私としては日本人と働くより米国の文化や英語を学びたかったため、そのような状況も楽しめました。

    ――当時リーマンショックが起こったと思いますが、どのような影響がありましたか?

    リーマンショックはロサンゼルスに移籍してから数カ月後に起こったのですが、それにより状況は一変してしまいました。カリフォルニアは失業率がとても高く、当時は1週間仕事がないと解雇されてしまうような状況でした。私もパートナーから呼び出しを受け、雇い続けられないと宣告され、アサインが真っ白になってしまいました。何とかして1週間の仕事を探さなければならず、もし見つからなければ帰国するしかない、という窮地に立たされ、本当に辛かったです。どうにかして仕事を見つけようとケンタッキー時代の評価表をPDF化し、ロサンゼルスにいるマネージャーやパートナーに「私はこんな評価を受けていてこのようなことができます。仕事をください」と一斉にメールを送りました。すると、米国外の色々な国のマネージャーやパートナーが助けてくれたのです。そうしてなんとかアサイン表に仕事を埋め、1年間やりきって帰国することができました。

    ――米国での経験を通じてどのようなことを感じましたか?

    米国では圧倒的マイノリティーだったので、そのような状況でどうやって生きていくか考えさせられました。当初私は米国人のようになりたかったし、米国人のように話せるようになりたかったので、米国内で日本人と働くのは嫌だと思っていました。ですが、マイノリティーの人が生き残るには、「自分の持っている強みを生かすこと」が大切だと感じました。つまり、「英語もできるけど、日本語も話せるし日本の文化や考え方もわかる」ということを生かして、日系企業のお客さんに対してサービスを提供し、価値を出して戦うということも大切なことだと気が付いたのです。

    ――ドラマの世界のようですね。

    米国では本当にドラマみたいなことがたくさん起こりました。米国にはかっこいいイメージがあり、それに憧れていましたが、米国ではそのような姿勢でいないとだめなのだということがよくわかりました。誰もが自信満々で堂々としていないと生きていけないような世界で生きているから、すごくかっこよく見えるのだと気付かされました。そして、私もより一層ふるまい方や話し方を意識するようになりました。ただ英語が話せてもあまり意味がなく、やはり発音も大事でかなり高いレベルが求められています。PwCでもそこまで意識している人はなかなかいないので、監査と会計に加えて、それも私の強みにしようとしました。

    ――ドイツ駐在が決まった経緯はどのようなものでしたか?

    米国から帰国して5年がたったころ、PwCドイツのパートナーから直接声を掛けていただきました。PwCあらたは通常多くの人に駐在を経験させたい方針なので、事務所のプロセスを通しても2回目の駐在は叶わないかもしれないと考えていました。ただ、どうしても駐在に行きたかったため、プレゼン資料を作成して自費でドイツに向かい直接交渉しました。面談の結果「ぜひ来て欲しい」と返答をいただき、ドイツから日本のオフィスに連絡を入れてもらい、2回目の駐在が実現しました。スタンドプレーのようになってしまったので、日本では少し怒られましたが(笑)。

    ――ドイツではどのようなご経験をされたのですか?

    米国と欧州では文化が全く異なると感じました。7月にドイツに行くと多くの人が1カ月夏休みを取っていたため、私も着いて早々に1カ月以上の夏休みを取り、色々な場所へ旅行に行きました(笑)。ドイツ人は非常に効率的で、1日7時間以上は絶対に働きません。その代わり本当に効率的なのです。監査はリスクアプローチが基本ですが、ある面では日本よりも進んでいる印象があり、とても勉強になりました。

    また、有給休暇も育児休暇も当然の権利とされており、お互いにカバーし合うことで取得しやすい環境が整っていました。ドイツ人は1年に1回の長期休暇に命を懸けていたので、ワークライフバランスが本当に実現していました。

    ――1カ月の夏休みは、どのようにつくられるのですか?

    ドイツは祝日が少ない代わりに、有給休暇が毎年2カ月ぐらい与えられていて、それを使っています。ドイツは99%の会社が非上場で、ほとんどが中小企業なんです。30~40人くらいのファミリーカンパニーで働くことが当たり前で、その中でやれるだけのことをやってみんなで休みを取って楽しもうという文化があります。日本や米国には大企業が多く、大企業に入って高いパフォーマンスをあげて上を目指すという傾向があるので、文化の違いはありますね。

    ――帰国後はどのようなことをされていたのですか?

    2017年に帰国してからは、テクノロジー系のクライアントを担当することになりました。担当したクライアントは債務超過で上場廃止の危機にさらされていたのですが、米国のファームなど色々な人と協力しながら乗り切りました。

    テクノロジー系のクライアントは小売系のクライアントと比べて売上規模がとても大きいので論点も多く、この仕事では自分のこれまでのキャリアの全ての要素を集約し、多くの人と関わりながら取り組みました。自分が持っているものをすべて出し切り、新たな経験や学びもあったので、とても楽しかったです。

    03. 今後の展望

    PwCは「社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する」ということをパーパスとして掲げているのですが、私は大企業を担当していること自体が重要な問題を解決することに繋がっていると感じています。大企業にはその分野における高い技術力やナレッジがあり、社会の問題を解決できる力があるので、それを監査で支えることが社会の問題を解決することに繋がります。

    ――監査を行ううえで大切な点は何だと思いますか?

    監査において大切なことは、基準への準拠性ではなくクライアントの置かれている状況を考慮した目的適合性だと思います。クライアントが情報を開示するのは競合他社や株主のためであり、企業間比較がとても大切です。会計の問題について相談を受けた時に、基準通りの回答をしても、その観点から回答すること自体が適切ではないというケースも多いです。クライアントと同じように監査人も目線を一段階上げて「何のために開示しているのか」を考え、より意味のある監査を行うことでプラスアルファの価値を出す必要があります。それは常にさまざまな新しい論点がある大きなクライアントを担当するからこそできることです。パートナーとして、クライアントの価値をそのように高めることができる人材になりたいと思います。

    ――最後に一言お願いします。

    近年は従来に比べて保証の領域が広がってきており、監査というものが自分の会計士の知識のみだと難しくなってきています。PwCには世界中にさまざまなプロフェッショナルがいるので、そうした他の人の知識や経験も集約しながら、大規模クライアントに対峙していきたいと思います。監査人は大規模クライアントとの接点で磨かれていくと思うので、そうした経験が積める環境に行くべきだと思います。

    パートナーになったことでアクセスできる情報も増え、さまざまなことに興味を持つようになりました。パートナーになって終わりではなく、パートナーになってから10年以上同じ職階にいることになるので、日々楽しみながら自分に何ができるかよく考えていきたいと思います。


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    この記事を書いた人

    「人と繋がり、可能性を広げる場」CPASSを運営するスタッフ達です。CPASSメンバーは、20~40代まで幅広い年齢層の公認会計士達を中心に、キャリア支援のプロフェッショナルなど様々なバックグランドを持つメンバー達で構成されています。「絶対に会計人達の役に立つ情報発信する」、「CPASSにしか出せない価値を提供する」をミッションとして集まった熱いメンバー達です。CPASS独自の視点からの見解を是非、楽しんでください。

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