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公開日:2022/10/28

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決算早期化の第一人者として活躍する、武田雄治のキャリア

今回のロールモデルは、武田雄治さんです。監査法人、事業会社を経て独立し、決算早期化の第一人者として大活躍されています。受験生時代の苦労話から若手会計士へのアドバイス、皆が憧れるセミリタイア生活まで、どなたにとっても興味深い内容になっております。ぜひご覧ください。

    武田雄治さんのプロフィール

    武田雄治

    公認会計士

    大手監査法人、東証上場企業勤務後に独立。

    「経理を変えれば会社は変わる!」の信念のもと、主に上場企業の決算・開示支援を行い、決算早期化の分野では第一人者と評されている。ブログ『CFOのための最新情報』は月間のべ15万人が閲覧。YouTube『黒字社長塾チャンネル』でも決算早期化等の情報配信中。主な著書に『「経理」の本分』『「社長」の本分』『決算早期化の実務マニュアル〈第2版〉』(いずれも中央経済社)等多数。

    武田雄治さんの略歴

    2001年 公認会計士試験旧2次試験合格、KPMG勤務
    2005年 東証上場企業勤務
    2005年 コンサルティング会社を設立して独立
    2008年 武田公認会計士事務所として再独立
    2011年 中央大学専門職大学院国際会計研究科兼任講師就任
    2011年 中小企業に特化した経営・会計コンサルティング事業「黒字社長塾」主宰
    2014年 バックオフィス業務支援事業 バックオフィスサービス合同会社 社員就任
    2020年 公認会計士業に特化するため、税理士資格を返上
    2021年 県立広島大学非常勤講師就任
    2023年 関西学院大学非常勤講師就任

    01. 会計士試験での苦悩

    ――武田さんが会計士を目指したきっかけを教えてください。

    大学のゼミで会計の巨匠である平松先生に出会ったことがきっかけです。平松先生は会計基準を作る側の方だったのですが、当時会計ビックバンの時代だったこともあり、毎週ゼミの授業中に会計の最新の情報をお聞きしました。「来週の企業会計審議会では、連結会計について議論するんだ」とか。それが新聞の一面のトップに載るので、「会計って面白そう!」と思うようになりました。連結会計やキャッシュ・フローが導入されていない時代というのは今考えると想像つきませんよね。またゼミの同期や先輩に会計士が多く身近な存在だったことも大きいです。

    ※会計ビックバン: 1990年代後半から行われた日本の会計基準の一連の抜本的な改革。社会の国際化に伴った新しい会計基準の導入。連結財務諸表制度の改訂や金融商品への時価会計の導入など。

    ※平松一夫: 国際会計研究の第一人者、学校法人関西学院理事長を歴任。国際会計基準(IFRS)の国内導入に尽力。

    ――今では大活躍の武田先生ですが、受験生時代は苦労されたそうですね。

    はい。遊びすぎたのもあるかと思いますが、試験には3,4回落ちました。「もう今年で終わりにしよう」と決意した年の大原の全国答練で1500位代を取ったときには、会計士試験を断念しようと思いました。当時800人程度しか合格できない時代です。その結果をもって、ずっと支援してくれていた親に事情を話し、もう次の日からは勉強はやめて就活しようと考えたのですが、これに親が猛反対。「何を言っているんだ。一度始めたなら諦めるな、30歳になってもいいから合格するまでやれ。」と、初めて自分が決めたことに反対されました。そう言ってくれるんだったらやるしかないと思って、翌日から再び大原へ向かい、勉強に戻りました。間近に迫っていた本試験は諦め、翌年の試験に向けて基礎固めをすることとしました。簿記は得意だったので、理論の入門テキストをひたすら読み込む生活をしていました。すると、なんと諦めていたその年の本試験ではその入門テキストからたくさんの問題が出たのです。自分としてはほぼ満点だろうとも思える出来で、見事その年に合格することができました。自分でも驚きましたし、親も驚いていました(笑)。人生不思議なもので、諦めずにやれば何が起こるか分からないですよ。

    02. 監査法人時代 人生を変える上司との出会い

    ――監査法人に入るときには、どのようなキャリアを歩もうと考えられていたのですか?
    監査法人に入所したときは、当時としては珍しく大阪から東京に進出しました。スタートの出遅れ感を取り戻すために、若いうちは日本の中心の1番忙しいところでたくさん働き、パートナーまで頑張るのだろうなと思っていました。独立するとは当時は考えていなかったです。

    ――監査法人時代にはとても良い上司との出会いがあったようですね。

    はい、1人の上司との出会いが人生を変えたと思います。事業部門の監査を行っている部署で公会計をやられていたマネージャーさんなのですが、せっかく東京にでてきたので東京でしかきっとできない面白い仕事をやりたいと思い、お昼に1人で行くところを見かけて、追いかけて話しかけたんですよ。初めてお話したのですが喜んでランチに連れて行ってくださり、そこで僕の人生に大きな影響を与える言葉をいただきました。

    「これから40年と会計士のキャリアを歩むと思うけど、どうやって成長曲線は描かれるか知っているか。右肩上がりに成長する人間はいなくて、1、2年目にひたすら高いところまで上がったら、もうその後はなだらかにしか成長しないんだ。そこでつけた差は永遠に埋まらないんだ。だから最初はできる限り働いた方がいいし、もしその気があるのなら僕の仕事もやってみなさい。」とお話していただきました。僕は修行のつもりで東京に出てきたので、仕事を振ってくださいと伝え、事業会社の監査の間に公会計の仕事もバンバンこなしました。アサイン表もぎゅうぎゅうに詰め込まれていたのですが、なんとか全部こなし、1年目の終わりには公会計の本が1冊書けるぐらいまでになりました。本当にそのマネージャーのお陰で最初の2年間にぐっと力をつけることができて、その後の人生の自由度が変わったと思います。

    ――どういったきっかけで監査法人の外に出る決断をされたのですか?

    シニアに昇進するタイミングだったのですが、ビッククライアントの現場責任者になることや、海外ファームからこれまでの監査のやり方とは全く違う新しい英語のマニュアルが導入されたことなど様々なことが重なり、これから数年かけてそれらに取り組むよりも違う仕事に挑戦した方が自分のキャリアアップになるのではないかと思い、転職を決断しました。

    03. ベンチャー勤務から独立へ 決算早期化を極める

    ――事業会社に転職されたのはどういった思いがあったのですか?

    当時は事業会社に転職する人は非常に少なかったですし、給料も下がりましたので、周りからもとても反対されました。しかし、それまで監査を数年やってきましたが、実際の決算がどうやってどのような苦労のもとで作成されるのかはよくわからなかったのです。でも現場の経理の方は決算書を作成するまでが、決算のピークなので、将来独立して上場企業のクライアントへサービスを提供することを考えたときに、その決算のピークを知らずして何ができるんだろう、という思いがありました。20代のうちに決算の実務を学びたいと思い、事業会社への転職を決めました。

    ――実際に事業会社に飛び込まれてみていかがでしたか?

    急成長しているベンチャーに企業に入ったのですが、社長以外のほとんどの社員が年下で土台も仕組みもノウハウも無いなか、気合と根性でなんとか深夜残業しているような会社だったので、とても大変でしたよ。それまで監査していた大企業とは常識が違うベンチャーで、まずは仕組みを作らなければまずいと思い、主に決算開示業務を担当しながら、仕組み作りをやっていきました。

    ――決算早期化の要請が出たのはちょうどその頃でしたか?

    はい。ちょうど私が事業会社に転職したのが2005年なのですが、その年に東京証券取引所が全上場企業に決算早期化を要請しました。全上場企業が決算開示を30日以内に行うことが推奨され、決算早期化が経営課題に上がった年だったんですよ。私がいた会社は到底達成できる状況ではなかったのですが、社内に会計士が私だけだったのもあり、「やるしかない。」と、一人で決算早期化プロジェクトを進めることになりました。

    ――決算早期化プロジェクトはどのような取り組みをされたのですか?

    ハードワークで朝帰りを行っていた若者たちがどうしたら早く帰れるか色々考えました。良いITシステムがあり、十分な数のスタッフがいるのに、それでも帰宅時間が遅いんですよ。何がボトルネックになっているのかというと、監査法人と経理部門の担当者の間のやりとりの非効率だなと思いました。監査法人は欲しい情報を現場から得るために深夜残業していましたし、実務の現場からすると監査法人からはいつも同じような質問や資料依頼をされて鬱陶しく感じていました。双方で非効率が多く、監査法人が残業しているから経理部員も早く帰れないという状況でした。どうすれば監査の非効率を解消できるかを考えた時に、「僕が監査調書を作ればいいんだ!」と考えました。過去数年分の決算資料を洗い出して、監査調書を全部自分で作ったのです。担当の先生方が監査に来た時にそのデータをお渡ししました。リードシート(リードスケジュール)を作成し、そこに変動分析結果も、その証拠も、監査人から質問されるであろうことも、すべてをあらかじめ記載しておきました。そうすると、本当に監査法人からの質問はなくなったのです。結果として、監査法人側も経理部員も早く帰ることができ、決算早期化は大成功しました。当時、上場企業約4000社の大半が決算早期化に困っていたので、自分がやったことをその企業にも移植したいと考えました。そこで、当時在籍していた会社を業務委託に変えてもらい、決算早期化コンサルタントとして独立しました。

    ――独立されてもう長くやられていますが、どうやって営業されたのですか?

    そこが独立するとなると一番悩むところだと思います。僕も今でこそ人前でしっかり話せるようになりましたけど、当時は人見知りもするし、営業の経験もないし、監査法人の面接すらできなかったぐらいだったんです。そのため、ネットを使って営業・マーケティングをしようと、メルマガを何本も出したり、ブログのアカウントを5つぐらい作って情報発信しまくったりしました。また、こうなりたいと思う会計士の先生には直接会いにいきました。。独立直後、ベストセラーの本をたくさん出し、講演活動もたくさんされている著名な先生に連絡しました。面識も全くなかったのですが、その先生の事務所へお話を聞きに行きました。ダイレクトに「先生みたいに本を書いたりセミナーをしたりするためのノウハウがあれば教えてください。」と聞いたのです。先生曰く、「ノウハウは全くなく、与えられた仕事を一生懸命にやっていただけなんだ。最初は小さなセミナーでも一生懸命やれば必ず聞いている人はいて、それが次のセミナーに繋がり、今度は出版社からのオファーが来て、また次の出版社へと繋がる。それを繰り返していたら今こうなったんだ」とおっしゃられました。あの著名な先生でもそうなるのに20年ぐらいかかったそうです。「まだ独立して一年目なのだから、生き急がず、与えられたものをコツコツやりなさい」というアドバイスを頂いたので、それに従い、コツコツと何事も一生懸命やりました。ブログを書き続けて数年経ったころにブログを経由して某システム会社からセミナーの依頼が来たので、先生がおっしゃっていたことを思い出して、一生懸命喋りましたよ。実際に、セミナーには色々な方が来ており、違うセミナーにまた呼んで頂けました。そういうのがずっと続いて、気が付けば僕が聞きに行った先生と同じぐらい本も出してるし、セミナーもやってるし、という感じになりました。そのセミナーを受講された方からコンサルの依頼も頂き、これまで決算早期化を支援した上場企業・上場準備企業は40社を超え、IFRS導入支援をした企業も10社を超えました。営業は一切やっていないんですけど、積み重ねの結果ですね。

    04. 今後の展望 沖縄への移住を控えて

    ――ハードワークから自由な生活へシフトしたきっかけを教えてください。

    2020年の独立して15年目という節目のタイミングとコロナの影響です。独立してからお陰様でずっと増収が続いたのですが、一人でやるにはこれ以上無理だというところまで来ていました。上場企業のクライアントのプロジェクトが7つ、8つ並行して走っているような感じだったんです。また、ずっとリモートでやらせてもらっていましたが、パソコンに向かう時間も必然的に増えていきまして、目が痛くて仕方なくなってしまいました。眼精疲労からくる頭痛がひどいのですよ。そろそろセーブしないと体が潰れるなと思ったんです。ちょうどその頃コロナが流行りだして、監査のリモート対応で精一杯だったクライアントから、「監査対応以外に手が回らない」と、コンサル契約の解除が続きました。これも一つのタイミングかなと前向きにとらえて、新規のコンサル受注も一旦止めて、少しゆっくりすることしました。

    ――現在は皆さんが憧れるような生活をされているそうですが、どのような日々を送られているのですか?

    今はもう本当に自由ですよ。以前から「2時間ルール」というのは決めていたので、「1日2時間」は、ネットも繋がず、スマホも見ず、とにかく真剣に働くんです。本気で2時間集中すると、世間の人の8時間分の仕事ができちゃうと思うんですよね。午前中はどこかのカフェに行って2時間だけ集中して、執筆・講演・セミナーの準備などをやって、2時間経ったら強制終了です。午後以降は運動したり、読書をしたり、飲みに行ったり、自由に過ごしています。そんな生活を2年ほどしています。

    ――沖縄への移住も考えているそうですね。

    はい、コロナ前は大阪と東京の二重生活をしていたのですが、現在は大阪と沖縄の二重生活になりました。来年2023年にはもう大阪も引き払って完全に沖縄を拠点にする予定です。沖縄に行っても今のような自由な生活を続けると思います。もうハードワークには戻れないですね(笑)。

    ――武田さんのように1つの分野の専門家になると、自由度も変わりますね。

    それは間違いないですね。「決算早期化コンサルをやっています」と打ち出すと、そこに悩みのある方が問い合わせをしてくださり、仕事につながります。そのため、何か突き抜けたものを一つ持つことは大切だと思います。受験生時代には自分が何に強いかなんてわかりませんが、監査法人時代やその後のキャリアの中で、目の前にある仕事を極めていった結果として、自分の強みが見えてくると思います。僕も合格した当時は決算早期化のコンサルをやるなんて、これっぽっちも思っていませんでした。ある分野で本を書けるぐらいまで極めていけば、それが天職になるでしょうし、良い出会いにも仕事にも恵まれると思います。

    05. 武田雄治さんの若手会計士と受験生へのメッセージ

    ――若手会計に伝えたいことはありますか?

    現在は働き方改革も行われ長時間労働はできなくなってきていると思いますが、職場で長時間働かなくても、仕事以外の時間に本を読んだり勉強したりすることはできます。どこかでぐっとハードワークをしたら、本当に力がつくので、僕としては、若いうちに色々なものを吸収して、うんと高いとこまで上がってしまった方が良いと思います。若いうちは、同じ本を読んでも吸収できる量や関心の幅も違います。40代以降になると、本当に体力が衰えて、無茶ができなくなるので、若いうちは自分の時間を大事にした方がいいと思います。繰り返しますけど、20代の若いうちにいかに高いとこまで上がるかで、一生が決まるんじゃないかなと思いますね。

    ――最後に、今、頑張っている受験生に向けてメッセージをお願いします。

    合格ラインを1点でも超えるための戦略的な勉強を考えてください。受験時代の詰め込み型の勉強と実務に出てからの勉強は全く違います。実務に必要な本質的な勉強は合格してからやればいいのです。なので、学者になるような勉強はしなくても良いんです。専門学校で1位にならなくても良いんです。テキストをすべて暗記しなくても良いんです。専門学校の先生やテキストを信じて、そこから出たものは全部答えられるという準備をしておけば、合格ラインを超えることは可能だと思います。


    武田公認会計士事務所ホームぺージ:https://cpa-takeda.com/

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    武田雄治もうひとつのブログ:http://cpatakeda.livedoor.biz/

    武田雄治が取締役を務める経理代行・記帳代行会社:https://www.bos21.co.jp/

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    この記事を書いた人

    「人と繋がり、可能性を広げる場」CPASSを運営するスタッフ達です。CPASSメンバーは、20~40代まで幅広い年齢層の公認会計士達を中心に、キャリア支援のプロフェッショナルなど様々なバックグランドを持つメンバー達で構成されています。「絶対に会計人達の役に立つ情報発信する」、「CPASSにしか出せない価値を提供する」をミッションとして集まった熱いメンバー達です。CPASS独自の視点からの見解を是非、楽しんでください。

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