公開日:2025/11/11
中川智哉子公認会計士事務所/中川智哉子

①野心が空回った20代。独立を目指して、事業会社4社を渡り歩く。
――ファーストキャリアは大手信託銀行に入行されていますね。この時点で一生安泰と思える選択をされているように思えますが、約1年で退職されていらっしゃいます。
はい。コンサルティング営業力を磨いて、将来的にプライベートバンカーを目指せればと思い入社しました。信託銀行であれば、銀行業務に加えて不動産や遺言等の専門領域にも関われる可能性があり、そこに大きな魅力を感じていたと記憶しています。
研修後、支店で後方事務を経験した後に資産相談員(ローテラー)としてお客様と向き合いました。丁寧にお話を伺った上で、お客様のご意向に沿う投資信託を提案し、購入頂けることはやりがいでした。
一方で、伝統的な組織風土が想像以上に自分には合わないと感じました。また「売るのは得意な気がするけれど、これは私ではなく会社の看板への信頼」「同じ営業でもB2Bの仕事の方が成長できるのではないか」と、若さゆえの強い焦燥感に包まれていました。これは、同世代の方から「自分もそうだった」と言われることが時々あるのですが、中学時代にテレビで見た大手証券会社の破綻の衝撃も影響していたと思います。「将来の不安がないように、いつかは組織に頼らず働ける力を身に付けたい」と考えるようになっており、早期に成長したい気持ちがありました。短期で辞める想定はなかったものの、散々悩んだ末に決断しました。
――独立を目指されていたとのことで、この時、転職ではなく、すぐに会計士を目指そうとは思わなかったのでしょうか。
大学時代のゼミが経営組織論だったこともあり、ビジネスの定性的な面に強い関心があったんです。色々な状況や人の話を多く見聞きして、社会人としての肌感覚を早く養いたいと考えていましたので、家や予備校に籠って1日中勉強する生活が想像できませんでした。勉強自体は好きでしたが、できれば30代以降に海外の大学に留学してさらに視野を広げたいという考えもあったので資格を検討することはなかったです。それと、大学時代に簿記の単位を落としていたこともあり(笑)向いていると思えず、受かるはずがないと決めつけていました。
――2社目は不動産会社に業種を転換されていますね。
外資金融を中心に転職活動したのですが、「タイミングが早すぎるのでもう少し頑張ってみてはどうか」となだめ諭されることが続きました。改めて自己分析し直し、新しい選択軸にピタリと合ったオフィスビルのプロパティマネジメント会社に入社しました。
自由闊達な社風のもとで情熱的な先輩・上司の方々が、ビジネスのイロハを沢山教えて下さり、これがその後の基礎になっていると思います。当時、若くて尖っていた私でしたが、周囲は全体的に5歳以上年上の方ばかりで、その他、別の会社で役職を務められた後に嘱託職員として勤務される経験豊富な先輩方もおられ、約4年半に渡り多くの方に温かくご指導いただき、大変お世話になりました。
様々な立場の関係者の方々を調整する業務の特性から、シリアスな局面にも対応できるよう、客先での振舞いに伸び代がないか、後で脳内再生して点検していました。また取引先は基本的に男性が多く、「小娘扱いされないように」と肩肘張って常に全力でしたので日々消耗しており、10歳も年上に見られ「貫禄がある」とよく言われていました。信頼を得られる手応えを感じつつも、自分に厳し過ぎて心が硬くなっていくのを感じ、当時はその延長線上にいる将来の自分を好きでいられるか自信が持てなかったです。
――そこから不動産業の後、マーケティングや制作の企業に入社されたのはどんな経緯か、可能な範囲で聞かせていただけますか?
新規開拓営業の部署が立ち上がり、そこに異動となってテレアポや飛び込み営業に奮闘する中、より効率の良い営業手法を模索していました。台頭し始めていたデジタルマーケティングや、制作の可能性に惹かれたことがきっかけとなり、「もし業界を変えるならば、早い方が良いだろう」と判断しました。
3社目の会社はWeb制作もできると聞き入社したのですが、会社の方針転換により、期待していた業務になかなか近づけませんでした。やむなく再転職し、大手のクライアントを抱えている制作会社にご縁があり、販促・制作業務にありつくことができました。始めは喜びで紛れていたのですが、想像していた以上に深夜残業が多く、徐々に体力を削られていき、精神的にも余裕が消えていきました。周りからも拘束時間に驚かれて「燃え尽きてしまう前に退職を」と強く勧められることが増え、寝不足が過ぎて心臓がバクバクすることが出てきたので、このまま続けることは厳しいと感じ、退職を決意しました。

②心身の限界を感じキャリアブレイクを決意。31歳で会計士受験生に。
――4社目を退職後、31歳から会計士受験生にシフトされていらっしゃいます。全力投球の20代からギアチェンジで、かなりの葛藤があったようにも推察しますが、当時の心境について話せる範囲でお話いただけますか?
休む決断に至るまでの葛藤は大きかったですね。社会に出て以来、とにかく前進しかしたくないと思っていましたので、大きな挫折感でした。今後のために、それまでの自分のマインドや意思決定プロセスなど、全てを冷静に見直したいと考え、何も先を決めずにいったん休息期間を取ることにしました。
コミュニケーションや調整力を褒めて頂くことがありますが、当時は人前に出る自信も失い、気力も残っていませんでした。結局3ヶ月休んでも起業の意欲もアイデアも湧かず、自分にはより長い休息期間が必要なのだと判断しました。
ここで立ち止まったことが、その後の私にとって非常に良い選択になったと感じています。
3か月以上休むならば、次の仕事の面接で説明する材料が必要だと考え、何か勉強をしてみようかなと考えました。過去に取引先の経営層の方から、「会計知識がないのはもったいないよ」と言って頂くようなことが、全く別のシーンで二度あったことを思い出し、まず簿記から勉強しようと思いました。
それまでの私は自分だけで決めて突き進むタイプでしたが、尊敬できる方の助言に素直に従おうと意識を転換しました。苦手意識のある簿記を本格的に身につけるには覚悟が必要だと考え、また合否に関わらず今後に活きそうだと思い、会計士受験の道に踏み出しました。静かに自分のペースで進められるので、勉強にマインドフルネスのような効果を感じていました。
――受験生生活の長期化など将来の不安とはどのように向き合っていらっしゃいましたか。
受験を重ねるごとに点数は伸びましたが、頑張り過ぎる日と全く手につかない日が交互に訪れ、モチベーションの維持に苦労しました。やる気がどうしても出ない日は、「営業スキルを活かせば、今すぐ就職する選択肢もあると思うけれども、本当に今、受験を中断して再就職したいのか」と自問自答していました。
また「長く健やかに働くために休んだのだから、闇雲な短期合格よりも“今を自分にとって本質的に意味のある時間にすること“が最重要だ」と自分に言い聞かせ、勉強の傍らで読書と内省を重ね、思考と感情を整理していました。
論文式試験合格まで想定以上に時間はかかりましたが、自分に必要な過程だったと受け止めています。
③Big4監査法人、コンサルでの経験を経て、念願の独立
――論文式試験に合格された後の進路はどのように決められましたか。
経理の実務経験がなかったため、まず監査法人で経験を積むことが将来の土台になると考えました。国際的な環境が好きだったこともあり、最も国際色を感じたPwCグルーブの監査法人に入社しました。
――監査法人では合格者は一律扱いのため、アソシエイトで入所されたと思いますが、年下の上司と仕事する機会に意識されていたことはありますか。
既に30代後半でしたので、年上であることが負担に映らないように気を付けていました。管理職でもおかしくない年齢で多くを学べる機会に恵まれたことを、ありがたく感じていました。想像していた通り、年齢関係なく優秀な方が沢山おられて、高いハードルを越えた意味を実感できました。
受験期間で思考のパラダイムは変化しましたが、実務では想像以上に苦戦しました。事業会社時代はフロント側の「攻め」を担っており、経理や財務といった「守り」の領域は未経験でした。財務数値と真正面から向き合う業務は初めての経験でしたので、考え方の違いなどに面食らうことが色々とありました。強みだったバランス感覚が監査ジュニアとしては、現場で裏目に出る場面もありました。効率化のために先輩へマメに細かく進捗を共有し、横から助言を受けながら進める進行スタイルにも「そんなに頼って良いものか」と慣れるまで戸惑いがありました。おかげさまで慣れるにつれ成長スピードが上がり、転籍後にも大いに役立ったと感じています。
――PwCグループ内でコンサルに転籍されたんですね。
再びお客様と同じ方向を見て仕事に取り組みたいと感じていたことと、独立を見据えても良い経験になると思いました。
約3年半にわたり決算支援や高度化に従事し、プロジェクトの一員としての効率性をビシビシ鍛えて頂きました。監査とは異なる大変さを感じながらも、チームで成果を目指す一体感にやりがいを感じました。全体最適を起点に議論するスタイルが自分の考え方に馴染みやすく、言葉が伝わりやすい感覚がありました。「監査法人内でも決算支援に関われるのではないか」と聞かれることがありますが、考え方の重心の置き方に違いがあると感じます。私は特にプロジェクトマネジメントの感覚を身に付けられた点に大きな価値を感じています。
――満を持して、25年2月に独立されていらっしゃいます。独立に向けて、どのような準備をされたか伺ってもよろしいでしょうか?
現状に満足していましたし慎重に検討したかったので、独立時期は決めず、会計士登録が完了した頃から情報収集を始めました。
具体的には、各種イベントに参加して、先輩方に独立までのプロセスを伺い、ご挨拶を重ねました。複数の方から「まずは辞めるのが先。辞めていないと仕事を渡せないからね。」と言って頂くようになり、イベント等で顔を合わせる回数が増えるにつれ「まだ辞めてないの?」と背中を押して頂く場面が増えました。ちょうど担当プロジェクトが一区切りしたタイミングだったため、現職への影響を最小化できるタイミングかもしれないと思い、退職を決意しました。
――退職を決められてから実際、すぐに仕事のご依頼がありましたか?また独立されてみての感想もお聞かせいただけますか?
無職期間を覚悟していましたが、ありがたいことに有給消化中に初めてご依頼をいただきました。また退職後に会計士協会等のイベントに参加させて頂いて、過去にお話を伺っていた方に、退職した旨をご報告していく中でご依頼をいただけることもありました。
まだ駆け出しで語れることはないのですが、辞める想定前から関わらせて頂いたので、取引先候補としての前に、この資格の先輩後輩として関われたことが今につながり、周囲の方々のお力添えでお仕事を頂けていることに非常に感謝しています。
色々な業務をさせて頂く中で、資格取得後のみならず、その前の経験が思わぬところで役立つこともあり、今になって報われた感覚になることもあります。打ち合わせ以外の時間は、納期を守る限り、働き方を自分で選べる点に清々しさを感じています。
そういえば、このサイトと同じ運営元であるCPAラーニングの制作の裏方でも一部、関わらせて頂いていたりします。会計・ファイナンス関連分野を無料で学べるので、ぜひ見てみて頂けると嬉しいです。

④今後の夢やビジョン
――独立という長年の希望を1つ叶えられたところだと思いますが、今後の夢やビジョンについても是非お伺いしたいです!
そうですね。新しい分野に躊躇いがないため、好奇心が活きる仕事に引き続き、挑戦していきたいです。
将来的には会計関連の仕事とあわせて、組織や人の関係性の循環を整える仕事にも取り組みたいと考えています。不要な遠慮や対話不足から生じる“もったいなさ”を減らし、「働く」という概念を少しでも爽やかで豊かな方に近づけたいと願っています。自分自身も学びと変容を続け、求められるところで変容のお手伝いができればと思っています。
また、いつか図書館やブックカフェを開き、対話が自然に生まれる場づくりに携わりたいと考えています。本に何度も助けられてきた経験があるため、本の良さを分かち合えたらと考えています。
⑤後輩女性会計士へのメッセージ
――最後に、後輩の女性会計士の方にメッセージをお願いできますでしょうか。
まだ道半ばの立場ですが、近年は「全体最適」を意識して動くことを大切にしています。「全体」として何が最善か、自分が見ている「全体」の範囲が狭かったと気付いてから、物事の見え方が少しずつ変わりました。
この資格の合格を支えた“負けず嫌い”と“完璧主義”は役立つ資質ではあるものの、「全体最適」とは逆の方向に働いてしまうことがあると思っています。過去の私は自分でなんとか片付けようとして、ついタスクや感情を抱え込み、行き詰まることがありました。より周りを信頼して早めに相談できると全体の調整が楽になり、結果として品質も上がったと感じています。相談の中でタスクのプロセスや、趣旨や想いを一言でも共有できると、関係者の信頼感が高まって、ゼロサムの発想から距離を置くことができ、働き心地も良くなり、ウェルビーイングにもつながることがあると感じています。もちろん職場やフェーズ、役割等で最適解は変わるとは思いますが。
またマインドやスタンスを整えるとともに、「自分がどんな世界観を選択して人と関わっていきたいのか」を明確にしておくことも大切だと考えています。どこか一つでも参考になれば嬉しいです。

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Book:#モモ(ミヒャエル・エンデ著)#「無邪気な脳」で仕事をする(黒川伊保子著・古森剛著)
Motto:#自己一致
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狭い家でも集中できるように、また照明の明るさを遮らないように、半透明の衝立を最近導入しました! 集中度合に効き目を感じています。
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緑の中に時々行きたいなと思っています!最近、15年以上ぶりに海外(バリ)旅行しました!
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