
公開日:2025/02/25
アテナ税理士法人/池田祐香公認会計士事務所 池田祐香
Q:最初に、会計士を目指したきっかけを教えてください!
会計士の存在は中央大学入学後に初めて知りました。中央大学は「炎の塔」が有名で、周囲にも弁護士や会計士等資格取得を目指す人が比較的多い環境だったこと、ゼミの教授がKPMG LLPニューヨーク事務所で長年勤務されていた会計士の間島先生(※)だったこともあり、私も会計士の働き方に徐々に惹かれるようになりました。
※:余談ですが、以前、CPASS for Womanで掲載されていた福島恭子さんは間島ゼミの同期です(笑)
一方で、関心は抱いていたものの、大学1年生からすぐに会計士の勉強を開始したわけではありません。実は、高校3年生の時に家族仲の悪化や受験等でストレスが重なり拒食症になってしまい、入学後は心身共に健康な状態に戻すことを最優先したかった思いが強く、当初は「炎の塔」に通う人たちのように朝から晩まで勉強に費やす気力・体力は自分にはないだろうと思い二の足を踏んでいました。そうした状態で、ずるずるとテニスサークルやアルバイト等、The大学生らしい活動に時間を割き1年が経過していたのですが、転機となったのは大学2年生での両親の離婚でした。熊本から上京してきたものの、帰る場所が無くなったという現実に直面し、ふらふらしていられないと気が引き締まりました。その時に一番身近でしっかりした大人のロールモデルとして思い浮かんだのが冒頭に述べた会計士の間島先生だったこともあり、私も将来は会計士資格を取って自立した大人になろうと決意し、大学2年生の夏頃から本格的に勉強を開始しました。
周囲よりも勉強の開始時期は遅かったものの、ペーパーテストには自信がありました。校内のテストの順位も最初は当然遅れをとっていたものの、勉強量に比例して成績も右肩上がりで順調に伸びていきました。地元の熊本で通っていた高校は県内一の進学校で、私自身もずっと国公立大学を目指して受験勉強に励んでいたものの、上述したとおり、受験生の時に拒食症等に悩まされ大学受験では実力を発揮できず第一志望校への入学は叶いませんでしたが、高校での成績と比較すれば大学受験は不本意な結果に終わったという苦い経験も、会計士の勉強を維持するうえでは悔しさというスパイスとしてモチベーション維持に貢献しました。
Q:2007年に大学3年生で会計士試験に合格され、その後、大学在学中にBig4 2社で経験を積まれていますが、何か理由があったのでしょうか?
2007年に大学3年生で臨んだ会計士試験は本格的に勉強を開始して1年ほどでしたし、試験後も全く手応えがなく不合格を確信していました。実をいうと、既に2008年合格目標の講座に申込みも済ませて勉強を続けていました(笑)蓋を開ければ、特に2007~2008年は制度の変わり目で大量合格世代という運も味方し合格していたのですが…。
しかし、想定外の合格だったということもあり、就職活動については、完全に出遅れており、慌てて開始した時には、間島先生の影響で第一志望としていた、あずさ監査法人の国際部は既に募集が閉め切られている状況でした。当時、まだ大学3年生でしたし、翌年に2008年合格目標組が就職活動を開始するタイミングまで待つ選択肢もあったのかもしれません。一方で、せっかく大学3年で合格したのだから社会人経験も早く積みたいという気持ち、さらに追い打ちをかけるように、大学2年生で両親が離婚したと先ほど述べましたが、その父も再婚をし、私が会計士試験合格後に結婚した(後述)ことを理由に仕送りがストップされてしまい生活費を自分で稼がなくてはならないという状況に陥り、それなら金銭面でも監査法人の非常勤が最も好待遇だろうということでEY新日本有限責任監査法人(以下、EY)へ入社しました。
EYへ入社したものの、恩師・間島先生の古巣である、あずさ監査法人の国際事業部で働いてみたいという気持ちは拭えず、2008年合格目標組が就職活動を開始するタイミングで再度会社説明会へ参加しました。その結果、2007年合格者ということで定期採用組が受講する入所時研修が省かれた中途採用枠で採用いただけることになりました。大学在学中にBig4間で転職しているのは、なかなか珍しいケースではないかと思います(笑)
Q:プロフィールを拝見し、試験合格後にスピード結婚され、大学在学中に第1子を出産されている点にも驚きました!
よく突っ込まれます…。元配偶者は7歳年上の医師です。最初の出会いは熊本で、私が高校3年生、元配偶者は熊本の病院で研修医をしていました。私は大学進学を機に上京しますが、その後、元配偶者も仕事で東京に出てきており交際に発展しました。元配偶者からは”会計士試験に合格したら結婚しよう”と言われており、実際に会計士試験に合格し、興奮冷めやらぬテンションのまま”合格した、よし結婚だ!”と、勢いで入籍しました。大学在学中に妊娠するのは流石に想定外でしたが、こればかりは授かりものですからね…。余談ですが、第1子の予定日は、大学の卒業式とほぼ重なっていたのですが、実際には卒業式の2週間前に生まれたので、急いで袴を用意し卒業式にも出席することができました(笑)
また、話はやや遡りますが、時系列的には、大学4年生であずさ監査法人の会社説明会に出席した際にも第1子を身ごもっている状態でした。おそらく、面接官も目の前の大学生がマタニティであるとは露も疑わず、就活中は出産/妊娠関連について何も聞かれなかったので答えなかったのですが、入社早々前例のないモンスター新人社員になってしまった自覚はあります。早めに出産しておいた方が後々楽なことも多いですが、社会人として無責任と言われてもしょうがない行動だったなと反省はしています。私の事例も15年以上前ですが、学生出産や入社間もない年次での出産に対する理解やフォローは世間的にも前進しておらず、どちらの言い分も分かる身としては歯がゆく感じているところではあります。
Q:復職後、あずさ監査法人ではワーキングマザーとしてどのように働いていらっしゃいましたか。
監査法人では、総合商社の本体・子会社の監査業務をメインに担当する傍ら、リファード業務やアニュアルレポートの翻訳等もしていました。ワーキングマザーという立場でしたが、所属部署は国際部だったということもあり、部署全体でフラットに意見が言い合える雰囲気があり、過度に気を遣われることもなく居心地は良かったです。私自身、ただでさえ経験不足でアウトプットでバリューを出せないスタッフの時期に早く帰ることに罪悪感があったので、保育園の送り迎えの関係もあり、21時以降の残業(繁忙期除く)と宿泊を伴う出張以外は制約をかけていませんでした。それでも、子供が突発的に熱を出すこともあり、当時は病児保育のサポートは充実しておらず、元配偶者も医者で多忙だったため育児はワンオペ状態だったことから、急遽当日に休暇を取得して迷惑をかけたこともありました。また、国際部に入所したのは間島先生の影響も大きいのですが、入所当初は海外赴任も気になっており上司にも将来的なキャリアとして考えている旨の相談をしたこともあります。他方で、当時、女性で子供を連れて海外赴任された方は周りにいないとのことで、その夢はきっと叶わないのだろうなと諦めていました。
2012年に第2子を出産後、希望通りの保育園に預けることができず、ほぼワンオペ状態で監査法人の仕事と両立しながら2人の子供を育てるのは難しいと思ったこと、同時期に元配偶者が彼の地元の福岡で医師として開業する話が進んでいたことから、家庭に専念するために退職します。
Q:2013年に拠点を福岡に移された当時は知り合いも殆どいなかったのではないでしょうか。現在は10数名のスタッフを抱える税理士法人の所長を務められていますが、今の立場に至るまでの経緯を教えてください!
結論から言うと、戦略性や計画性に長けていたというよりは、逆境に置かれ再起するために目の前の仕事に集中し刹那的に生きてきた結果、今の立場があると思っています。
あずさ監査法人退職後、会計士登録を維持するために会計事務所を開業し、簡単なHPは作成していました。しかし、実態としては、主婦業で手一杯で、会計士協会や税理士会に顔を出し名前を売る余裕もなかったです。本格的に仕事のボリュームを増やし始めたのは、2015年に第3子を出産し、保育園に預けだした頃からです。この時期に仕事量を増やした背景としては、それまでほぼ専業主婦状態でしたが、元配偶者との夫婦仲が悪化しはじめ、半別居状態で生活費だけもらっている状況に嫌気がさし、自分の手で稼ぐ重要性を感じたことです。このタイミングで、福岡の監査法人に再入所する選択肢もあったのかもしれませんが、3人の子どもを育てるワーキングマザーでブランクもあるため、雇っていただいたとしても先方も腫れ物扱いだろうと思いましたし、私自身も大学3年生で会計士試験に合格し、監査法人にも比較的若い時に入所したのに再度1からのスタートとなってしまうことに当時はプライドも邪魔をして厳しいなと思いあきらめました。そのため、監査ではなく、税務の道に舵を切ることを決意し、個人で引き受ける案件も税務業務にシフトチェンジしていきました。案件を受注する都度、知識をアップデートして対応し経験値を積んでいく、気合と根性で1人で頑張る期間が約5年は続いたかと思います。
その後、徐々に受注する案件が増えていき、それに応じて仲間も増やしはじめ、パートを含め10名規模になったことから、法人化した方が信用力の面からも良いと思い、法人化の検討を開始しました。一方で、法人化するには、2人以上の税理士が共同で設立する必要があることから、誰に社員税理士をお願いすべきかが課題となっていました。やや話は横道に逸れるのですが、第3子が小学校に通いはじめ手が離れだした2022年頃からSNSを開始しました。今でこそ、Xの発信で認知されていることも多いですが、SNSの開始は私のキャリア人生の中でも1つの転機になりました。SNS経由で昔の仲間たちと繋がれるようになり、その中に、のちにアテナ税理士法人の共同パートナーとなる杉田もいました。杉田とは、あずさ監査法人時代に同い年で同じ商社チームということで仲が良かったのですが、久しぶりに連絡を取りあう中で、彼女が旦那さんの帯同でオーストラリアに住んでいることを知り、時差もなく、テレワークで対応できるとのことで、今後何かしら仕事で連携できそうと話が弾みました。私としては、監査法人時代から優秀で同僚として尊敬していた杉田が法人化に際して傍にいてくれたら心強いと思っていたのでアプローチをし、念願叶い、2024年にアテナ税理士法人を設立できました。現在、事業のポートフォリオは9割税務業務で、残り1割程度は会計士協会から推薦いただいた福岡県の行政の委員等になります。直近の事務所の方針としては、杉田を筆頭に英語を得意とする社員が多いことから国際系業務の比率を増やして差別化を図りたい、と考えているところです。
また、これは私事ですが、中1次女が私の背中を見て会計士に憧れてくれていることから、誰かのロールモデルになれれば…と思い会計士協会の広報委員にも就任しました。就任に際して、会計士は会計と監査の専門家でありながら、監査のブランクが長すぎることに後ろめたさがあったので、結果的にではありますが、今年から監査の非常勤の仕事にも挑戦することにしました。あまりにも色々取り組みすぎて周りからも心配されていますが…(笑)
Q:採用やマネジメントの面で意識されていることがあれば教えてください!
採用については、福岡という土地柄、弊社のターゲット層である20~30代の女性は他の都市と比較して多いという立地上の強みがあります。ただし、東京と比較すると経験者採用は難しいので、社内の教育体制はさらに強化しないといけないと感じているところです。最近は、X経由での応募も来るようになりましたが、Xの発信内容は投稿者の人柄や思考がにじみ出るため、そもそも私と性格的に合わない人は応募してこないのでミスマッチは少ないと感じています。会社のHPもまだアップデートは必要だと考えるもののデザインにこだわって作っています。
アテナ税理士法人HP:https://www.athena-tax.jp/
マネジメントは本当に手探りで、今も正解を見つけられていないというのが正直なところです。自分の気持ちでさえ分からなくなるときもあるのに、ましてや人の気持ちを正確に理解することは難しいですし、性格やキャリア志向も十人十色で本人の希望通りにしても辞められてしまうこともあります。人の定着が、安定的で良質なサービスを提供することに直結していると痛感させられるので、試行錯誤しながらではありますが、コミュニケーションの頻度やタスクの割振り、オフィス環境の整備等なるべく気持ちよく働ける仕組みは少しずつ整えている状況です。今いるメンバーはみんな優秀で素敵な方ばかりなので、本当にありがたく思っています。
(↓)直近、2025年1月にオフィスも移転しました。
Q:社会人1年目からワーキングマザーとして、現在も3人のお子さまを育てながら仕事を両立されていると思いますが、振り返っていかがでしょうか。
元配偶者とは24年6月に離婚しましたが、彼は医者でしたし、地元で開業したこともあり、その嫁という立場でほぼワンオペで育ててきた子どもたちの成績が、そのまま母親の私の成績表であるかのようなプレッシャーを感じていた時期もありました。すでに上の姉2人は高校生と中学生ですが、自分の意志で中学受験をしたいと言いだし、結果として2人とも県内でトップクラスの中高一貫校に進んでくれたので誇らしく感じています。もちろん、これからの進路は不透明な部分もありますが、現時点では、高1の長女は情報工学に関心を持ち両親の職業(医師/会計士)とは違う道を選択し自分の人生を歩みだそうとしていますし、中1の次女は先ほど述べた通り、会計士を目指しているようで、中学受験後に自主的に参考書やCPA learning(https://www.cpa-learning.com/)を視聴しながら簿記の勉強を開始し、簿記3級に合格しました。今は2級の勉強を進めているようです。
第3子はまだ小学生ですが、上の姉2人もよく面倒を見てくれているので感謝しています。第3子が1年生になるまではプライベートも我慢することが多かったですが、まずは飲み会に行くことからスタートし、その後、2次会/3次会まで行ってみる、それができたら1泊の旅行に行ってみる等小さな成功体験を重ねて、昨年はオーストラリアにいるアテナ税理士法人共同パートナーの杉田に会いに3泊4日の海外旅行に行くことも叶いました。大学在学中に第1子を出産したので若いうちは苦労もしましたが、現在は逆に遅れてきた青春を取り戻すかのようにプライベートの充実も含めバランスよく楽しめている実感はあります。
Q:最後に、後輩の女性会計士へメッセージをお願いします!
公認会計士としてのキャリアを歩む皆さんへ。
この道を選んだ皆さんは、大きな志と熱意を持っていることでしょう。ただ、時には仕事や家庭、人生のさまざまな出来事の中で、「本当にこの道でいいのか?」と悩むこともあるかもしれません。
私自身、会計士試験に大学3年生で合格しましたが、その後のキャリアは必ずしも計画どおりではありませんでした。監査法人での勤務、結婚、出産、独立など、人生の局面ごとに選択を重ねながら、知り合いの少ない福岡でゼロから事務所を立ち上げましたが、目の前の課題に向き合い続けた結果が今につながっていると感じています。
そうした経験を経て、今では「ゴールから逆算すること」の大切さを強く実感しています。
「こうなりたい」「こんな人生を送りたい」というビジョンが明確だと、日々の選択や行動も自然とそこへ向かいます。また、ただ働くだけではなく、「DIE WITH ZERO」の精神で人生を思い切り楽しみ、思い出をつくることも大切だと考えるようになりました。仕事もプライベートも、どちらも楽しんでこそ、より充実した人生になると思います。
私もまだ道半ばですが、改めて、公認会計士という資格は本当に素晴らしいと感じています。特にライフステージの変化が大きい女性にとっては、働き方の幅を大きく広げる強力な味方になります。
ときに「女性だから」「母親だから」、あるいは「こうあるべき」という思い込みが自分自身を制限してしまうこともありますが、意外とそれは自分の中にある先入観に過ぎない場合が多いです。むしろ、どんな状況でも自分が納得できる選択を重ね、必要に応じて周りの力を借りたり、働き方を柔軟に変えたりすることで、より自由にキャリアを築いていけるはずです。
公認会計士という資格には、多様なキャリアの可能性が広がっています。これからも「自分のやりたいこと」や「強み」を大切にしながら、一歩ずつ前へ進んでください。あなたの選択が、きっと未来の自分を形づくります。
それぞれの幸せに向かって、ぜひ輝き続けてください。
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